「1番」を目指すことの意義

 プロセス改善をテーマにコンサルティングを始めて10年が経ちました。最近、特に強く感じることは、開発現場に改善に対するアイデアや工夫が貧弱なことです。

 プロセスの改善は、個人の習慣や組織の文化の変化を求めることでもあり、“聞いた”だけで簡単には実現しません。また、組織の習慣を「文化」という視点から眺めると、組織の文化は千差万別と言ってもいいくらいです。そのため、本に書いてあるようなことや、コンサルタントの言ったことと、自分たちの組織の状態は異なっており、そこで工夫が必要になります。

 コンサルタントから受けた説明に従って、実行するために自分で考えてみると、多くの場合、途端に行き詰まります。「聞く」と「やってみる」のとでは大違いなのです。スケジュールでも要求仕様書でも実際に書いてみなければ分からないことが沢山あるにも関わらず、まず、殆どの人は、聞いているだけでやってみることをしません。一方、取り組もうとした人も、その大半は最初の「こんな時、どう書けばいいのだろう」という迷いに遭遇したところで止まってしまいます。そこが工夫のしどころにもかかわらず、そこで諦めてしまうのです。というか、それまでの「習慣」に引き戻されるのです。「こんなことやっているヒマは無いや!」と。

 その証拠に、次回のコンサルティングの場に「質問」を持ち込んで来る人は殆ど居ません。ましてや、「次回」を待ちきれずにメール等で質問してくる人はもっと少ないのです。なぜでしょう。一番多いのは、次回のコンサルティングの場で、「進まなかった言い訳」を並べてくるケースです。

 この事は何を意味しているのかというと、その組織に於いて、新しいアイデアや必死の工夫が求められていないということです。そして、なぜ求められていないかというと、その組織には「NO.1」になるという意識や目標が存在していないからです。つまり、そこでは昨日と同じ「現状」が許されているのです。1年前と同じ「今日」が許されているということです。この種の取り組みは、「習慣」や「文化」が絡んでいる以上、簡単には実現しません。目標の実現に向けての、強い執着や粘りが求められるのですが、強い「動機」がなければ、そのような粘りは出てきません。

 シェアでも利益でも構いません。あるいは絶対額では規模の大きな先発企業に叶わないというのなら「率」でも構いません。「顧客満足度」でも構いません。仕事の仕方でも、残業時間の少なさでも構いません。とにかく「1番になる」という目標の存在が、そこに居る人たちの脳を刺激します。道を歩いていても、何かを考えようとするはずですし、そのような“思い付き”を大事にしたいという思いから、歩きながら記録するための「道具」を使う工夫も生まれてきます。

 特に、自分たちで“十分上手く行っている”と思っている組織は、「1番になる」あるいは「断トツの1番になる」という目標がなければ、間違いなくそこで止まってしまいます。「断トツの1番」こそが、本当の意味で顧客に応えることであるという考えが無ければ、必ず止まってしまいます。

 そこで止まっていることが、数年後に逆転されることになるなんて、そのような目標を持たない組織の誰一人、夢にも思わないのです。逆に言えば、今は1番でない組織であっても、ひっくり返すチャンスはあるのです。

 「1番になる」というところから、組織や個人(の役割)に対する達成基準の設定をやり易くします。「どの点で」1番になるかによって、各人の行動や知識、あるいはチームとしての方向などが決まってきます。それに合わせて組織としてのチェック項目や各人の行動基準を設定すればいいのです。また、中期的に達成目標を設定し、その達成を支援するように毎月チェックすることも出来ます。こうした「行動」を伴わないかぎり、実際に1番になるという目標が実現することは無いでしょう。少なくとも、日常の行動によって1番になることは無いはずです。

 いわゆる「学校」で一番になることの難しさは、その事に期限が付いていることです。通常は1年単位で、長くても3年とか4年という期限の中で達成しなければならないことと、そのための尺度や方法や分野が限定されていることです。

 しかしながら、ビジネスの分野では、そのような明確な期限は付いていませんし、「1番」というのも、最初に述べたようにいろんな尺度があります。マネージャーの考え方次第では敗者復活も可能です。言い換えれば、多くの人が「1番」になれるチャンスがあるわけです。

 でも、殆どの人は自分の能力の限界なんて知らないでしょう。こればっかりはやってみなければ分かりません。自分を信じ、知恵を絞って、工夫を凝らして、どうしたら「1番」になれるか考えることです。「1番になろう」としない限り、その人の持っている素晴らしい能力が引き出されることはありません

 最近、「デジカメ」を買おうと思ってパソコンの量販店に行ったのですが、そのあまりの種類の多さに唖然としたのですが、次の瞬間「怒り」を覚え、その場を離れました。デジカメの関係者は、一体、商品を選定するための時間を、何時間奪おうとしているのかという怒りです。これだけ多くの商品が未だに存在しているということは、「外れ!」を買ってしまう危険性もあるということです。初期の頃ならまだしも、未だにこの状態というのは、デジカメの関係者の誰も「段突の1番」を目指していないという事でしょう。そこで行なわれていることは、自分たちが「出来ること」の範囲で止まっているということです。

 その結果、多くの消費者にとんでもない選択のための時間を使わせていることを知るべきです。消費者からすれば、ジャンルごとに2〜3の優れた品物があればいいのです。選ぶ基準は、殆ど「好み」であって、性能や機能面で「外れ!」に遭遇することは無い状態を期待しているのです。これが、今日の傾向として、2番と3番の間に大きな差が開き出すという結果に繋がっているのです。

 結局、誰も本気で「No.1」を目指していないために、作る側も、利益の出ない仕事を続けるムダから解放される機会が無く、消費者に対しても沢山の無駄な時間を使わせて、揚げ句は小さな満足すら与えているか怪しいのです。この商品で「No.1」に成れないと判断できれば、それに従事しているエンジニアは、さっさと別の機会に移るべきなのです。

 こうして、一人でも多くの人が「1番」になろうとしない限り、本当の意味で今の不況から抜けだすことはできないでしょう。それを伴わないで出来ることは、せいぜい「一時しのぎ」に過ぎないことを認識すべきです。

 特に、若いエンジニアの皆さんは、この事の意味を良く考えて下さい。その職場に存在している「文化」が、時代に対応できる文化であるのかどうかを良く考えて下さい。「No.1」に向かっての「挑戦」以外に、あなた達自身の未来を確保することは出来ないはずです。


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